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◆もっと鵜坂神社を知ろう 2024.2.26

 何かをお願いする時や家庭での記念日にお宮さんに出かけます。神も仏も信仰の対象
とされていますが、、神と仏の違いを知らない人が多い。
 しかし、身近な人が病気や怪我などをすると「自分は無宗教」と思っているが、早く
良くなるようにと神社に出向き自然とお祈りします。
 家で祈る時は、神棚があります。鎮守の杜がある神社に出向き、そこで参拝するのが
最もふさわしく、厳かな気持ちで祈れます。

 越中旧事記に鵜坂寺真言宗鵜坂村鵜坂大明神祭…とあります。 
 日本の神々の物語は、古事記と日本書紀に綴られています。八百万の神(やおよろずの
かみ)と多くの神がいます。
神話に登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)は、皇室の祖先、皇祖神とされています。
 日本の神社界の中心となるのが、天皇家の祖先神で御祭神は、天照大神を祀る伊勢神宮です。出雲大社の御祭神は、大国主大神(おおくにぬしのみこと)です。 

 鵜坂神社の御祭神は、婦負地方開拓の祖神であり旧郡名の起源でもある鵜坂姉姫神(うさかねひめのかみ)と鵜坂妻姫神(うさかめひめのかみ)、それと五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の守護神、大彦命(おおひこのみこと)を祀っています。

 山内賢通初代宮司が所持している「出典 泉達録 」によれば、白鳳二年五月一六日彼森飛越鵜坂大明神と顕じたまふ…文亀二年九月一日鵜坂寺(室町時代一五〇二年)とあります。「旧鵜坂神社、鵜坂城、鵜坂寺絵図」に神通川の氾濫で流される前の神社は、第一の鳥居が熊野川の近くにあり、鵜坂村までの中州に第五の鳥居があって、その正面に鵜坂神社・三重塔・鐘つき堂・七堂伽藍 鵜坂山 鵜坂寺 下寺二十四坊・国宝観音
堂等が立ち並び、その前に流れる旧鵜坂川の畔に分田村が画かれています。
 また尻打ち祭りの縁起により縁結び・安産の神として信仰を集めています。 

 白鳳期(七世紀後半)に創建された真言宗鵜坂山鵜坂寺は、名神大社鵜坂神社鎮護の
ため神宮寺として建立、扇状形に展開した広大な地域に七堂伽藍二十四坊が連なり、歴代住職が別当として多くの社僧を従えて、朝夕神前に読経奉仕をしていました。

 天正年間に上杉謙信の兵に焼かれ、度重なる神通川の水害に遭い、次第に坊舎は離散し衰退してゆきました。明治三年の廃仏毀釈により鵜坂寺は、七十五世鵜坂泰胤を以て廃絶しました。就中源頼朝は本堂を再建し、十二の村を社領にしました。現在は境内の一隅に、わずかにその墓石や五輪塔が展示されており、毎年六月十六日に鵜坂寺別当慰霊祭がおこなわれています。
 神社に入って右側に天保十三年(1842年)に建立されたのと、左側に天保十五年に建立されたのと、対にして奉納された灯篭があります。
 神通川の土手には大友家持の歌碑が奉納されています。
 昭和三十七年婦中町史編纂委員会が設けられ、委員に重杉俊雄・長嶋勝正・瀬川安信・
野島好二・岡崎卯一・山内賢通の名前が載っています。
 鎮守の杜があってとても古い神社です。大きな木が立ち並ぶ神社は少なくなっていま
す。氏子として、地域の皆様と一緒に守っていきます。

  広報委員 蒲田政彦
絵図

出典

鵜坂神社社務所


●関連ファイル2:http://usaka.jp/usakajinjya/webfile/t2_2daf649e1e025bf78111ce2161624b84.jpg

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